藩境のまち 肥後街道 ~小保・榎津の町並み~

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藩境の町・肥後街道・・・歴史

筑後川の河口に位置する大川は、

その支流である花宗川(江湖)の河岸に榎津町と小保町があります。

この二つのまちは古来から、

河川港であり肥前への渡船場として発達し、

江戸初期には町となり、筑後が久留米、柳川、三池の三藩に分かれたとき

町並みの中心に久留米藩と柳川藩の境界線が通じるという

全国的にも珍しい藩境の町並みがつくられました。


江戸中期になると久留米藩が筑後川河岸に若津港(1751)を

続いて柳川藩が住吉港(1774)を築港すると

大川は新旧四つの河川港による水運王国となり、

明治になっても 材木の集散地となります。

榎津には百一名の船大工が集住し 小保は宿場町としても栄えます。

江戸後期には

榎津は、水車、戸、障子、戸棚、小細工物を製造し 他領に輸出しています。

小保町には、柳川藩(立花家)に宮大工として仕えた

鐘ヶ江儀八、黒田多吉

榎津町には、久留米藩(有馬家)で名彫刻師として社寺などに腕を振るった

村石繁蔵、田上嘉作、福山長次郎、志岐惣吉などの

系譜に連なる多数の名工たちを生み出しました。


この高い技術の蓄積が 筑後地方の社寺建築や歴史的建造物や

質の高い装飾としての欄間(ランマ)や指物が遺されることになります。


                     ・・・・参考:大川の民俗第一集より

       大川市清力美術館で催される『藩境の町~ランマ・指物の世界~』のチラシより
       抜粋いたしました。
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by higokaidou | 2010-01-21 08:47 | 日々